R35型日産GT-Rが18年の歴史に幕を下ろした今、もしR32型GT-Rも18年間進化を続けていたら、どこまで完成度を高めていたのでしょうか。
1989年登場のR32はわずか約5年間で約4万4000台を販売した名車です。R35が18年間で約4万8000台だったことを考えると、R32が長期熟成される世界を想像するだけでも、GT-Rというクルマの進化の本質が見えてきます。
日産GT-R生産終了で、なぜR32の「18年後」が話題になるのか?
結論からいえば、R35型GT-Rが2007年から2025年まで18年間も同じ型式を熟成させ続けたからこそ、R32にも同じ時間が与えられていたらどうなったのか、という興味が生まれます。
R35型GT-Rは2007年12月に登場しました。初期型は3.8リッターV6ツインターボのVR38DETTを搭載し、最高出力480PS、価格は777万円から834万7500円でした。
そして2025年8月26日、栃木工場から最終生産車がラインオフ。最後の1台は右ハンドルの「プレミアムエディションT-spec」で、ボディーカラーはミッドナイトパープル、内装はT-spec専用のモスグリーンだったとされています。
2007年から数えるとモデルライフは約18年。世界で販売された台数は約4万8000台とされ、最終型の2025MYではプレミアムエディションT-specの価格が2035万円、最高出力は570PSに達しました。
さらにGT-R NISMOでは最高出力600PSまで高められています。2013年に発表されたNISMOはニュルブルクリンク北コースで7分8秒679を記録するなど、R35は同じ基本設計を磨き続けることで性能を高めていきました。
この「18年間の熟成」をR32に当てはめたのが今回のテーマです。
R32型スカイラインGT-Rは1989年から1994年までの約5年間に約4万4000台を販売しました。R35の約4万8000台と比べても、数字だけなら驚くほど近い規模です。
しかもR32はR35のような世界戦略車ではなく、販売の中心は日本でした。当時のバブル景気や高性能車人気という追い風があったとはいえ、5年間でこの台数はかなり大きな支持だったことが分かります。
私はここが面白いポイントだと思います。
R35は「長期間売りながら進化させたGT-R」、R32は「短期間で爆発的な支持を得たGT-R」と見ることができます。同じくらいの販売規模に到達した2台なのに、そこまでの時間の使い方はまったく違ったのです。
R32 GT-Rが18年間販売されていたら、どこまで進化した?
もちろん実際には存在しないクルマなので、ここからは事実を土台にした想像になります。
ただし、R32の5年間に実際に行われた改良を見ると、18年間の方向性をある程度想像することはできます。
R32 GT-Rには標準車だけでなく、レース参戦を意識した「NISMO」や、性能を高めた「Vスペック」などが設定されました。
つまり日産は当時からGT-Rを一度完成させて終わりにするのではなく、モータースポーツや実走から得た課題を反映しながら改善していました。
もしR35のように毎年のような年次改良が続いていたなら、大きく進化した可能性があるのは次の部分でしょう。
- ボディー剛性と足まわりの熟成
- ブレーキ性能と冷却性能の向上
- 高速域での空力安定性
- アンダーステアの軽減
- 4WD制御の高度化
- エンジンのレスポンスや耐久性
- 日常走行での扱いやすさ
特に大きいのはボディーと足まわりです。
R35では基本骨格を長期間使いながら、製造現場の工夫まで含めて完成度が高められていきました。ラインオフ時には、設計時に想定された製造公差を生産現場の努力で詰めた結果、剛性が約8%向上したというエピソードまで紹介されています。
R32にも18年という時間が与えられていたなら、単純な最高出力競争だけではなく、「同じ速度でも安心して踏める」「荒れた路面でも姿勢が乱れにくい」といった、数字に表れにくい性能が相当磨かれていたはずです。
一方で、エンジン出力については単純に「何百馬力まで上がった」とは考えにくい部分があります。
当時の日本には280PSの自主規制があり、カタログ上の最高出力には制約がありました。さらにR32はGT-R専用車ではなく、あくまでスカイラインをベースとしたモデルです。
R35のように最初からGT-R専用の車体や電子プラットフォームを前提に設計されたわけではありません。
そのため18年間使い続けるなら、どこかでボディー、電子制御、安全装備などの限界が出た可能性は高いでしょう。
私は、もし本当にR32が18年間続いていたとしても、「R32の見た目のまま18年」というより、外観の基本イメージを残しながら中身が大幅に刷新される方向だったのではないかと考えます。
実はR32の進化形はR33、R34としてすでに存在していた
ここで忘れてはいけないのが、R32の物語は1994年に完全に終わったわけではないことです。
スカイラインGT-Rとして見ると、その後にR33、R34が続いています。
つまり、R32を18年間そのまま改良する代わりに、当時の日産はベースとなるスカイライン自体をモデルチェンジして進化させたとも考えられます。
R32にはフロント側の重量感や高速域の空力、アンダーステア傾向など、走りを突き詰めるほど見えてくる課題がありました。
それらはR33、さらにR34へ進む過程で改善されました。
R33ではホイールベースが拡大され、高速域の安定性を重視する方向へ進化。R34では再びボディーサイズや運動性能のバランスを見直し、第二世代GT-Rの完成形と呼ばれるほど評価される存在になりました。
つまり「R32を18年間改良していたらどうなったか?」という問いに対して、かなり現実的な答えは、
R32の弱点を潰しながら進化した結果がR33やR34だった
とも言えるのです。
これはR35との大きな違いでしょう。
R35はGT-R専用モデルとして独立していたため、基本プラットフォームを維持しながら年次改良を続ける方法が取れました。
一方、R32からR34までのGT-Rはスカイラインというベース車が存在したため、ベースモデルのフルモデルチェンジに合わせてGT-Rも大きく姿を変える必要がありました。
個人的には、ここを単純に「R32の寿命が短かった」と見るのは少し違うと思っています。
R32単体では約5年でも、思想やメカニズムはR33、R34へ受け継がれました。そう考えると、第二世代GT-R全体が約11年間を使って熟成されたひとつの大きなプロジェクトだったとも解釈できます。
R32が本当に18年続いたなら「速さ」より完成度が伸びた可能性
では、それでもR32という型式を18年間使い続けた世界を想像するとどうなるでしょうか。
私は、後半になるほど「最高出力」ではなく「速さを使い切るための完成度」が重視されたと考えます。
これはR35の進化を見ると分かりやすいです。
R35開発時には当時の開発責任者、水野和敏氏によって「重さを速さに変える」「300km/h領域でも助手席と会話が楽しめる」「ノルドシュライフェ市販車世界最速」といった非常に高い目標が掲げられていました。
実際、R35はフロントエンジンの2+2シーターというGT的なパッケージを維持しながら、トランスアクスル方式の4WDなど独自のメカニズムを採用しました。
空力ではCd値0.27とマイナスリフトを両立し、登場時にはニュルブルクリンクで7分38秒台、その後7分29秒台というタイムが発表され、世界的にも大きな話題になりました。
R32が18年間続いた場合も、最初の数年はパワーアップが注目されたでしょう。
しかし、年数が経つにつれて重要になるのは、ブレーキ、タイヤ、空力、電子制御、ボディー剛性、冷却性能といった「速さを成立させる周辺部分」だったはずです。
たとえば280PSのままでも、ブレーキ性能が上がり、トルク配分制御が細かくなり、ボディーが強くなり、空力が整えば、サーキットでは初期型よりはるかに速く走れます。
クルマは馬力だけで速くなるわけではありません。
これは新車選びでも同じで、スペック表の数字だけを見ると見落としがちですが、実際の満足度は足まわりや制御、乗り心地、ブレーキの扱いやすさなどの総合力で決まります。
もし18年目のR32が存在したなら、見た目は角張った往年のGT-Rでも、走りは初期型とは別物というクルマになっていたのではないでしょうか。
R35が18年間生産できた理由から見えるR32との決定的な違い
R32の18年後を考えるうえで、R35がなぜ18年間も生き残れたのかを見ることも重要です。
R35は単に人気があったから残ったわけではありません。
日産栃木工場では、「フーガ」などFR系モデルを生産するラインにGT-Rを混流させる方法が採られました。
さらにGT-R専用工程の多くは熟練工の手作業に支えられていました。
VR38DETTエンジンは横浜工場で「匠」と呼ばれる熟練者によって組み立てられ、歴代で9人、最終期には4人が担当していたとされています。
栃木工場でもリアアクスル周辺をわずか2人ほどで組み立ててアライメントを調整し、トランスアクスルユニットを数人がかりで車体へ組み付けるなど、人の技術に依存する工程が存在しました。
こうした作り方が、高性能車でありながら初期価格777万円という設定につながったとされています。
R32にも熟練工の技術は当然投入されていましたが、18年間を前提にした専用車として設計されたわけではありません。
さらに時代が進めば、衝突安全や排出ガス、先進運転支援システム、サイバーセキュリティーなど、性能とは別の領域で対応すべきものが増えていきます。
実際、R35が生産終了した背景については、古い電子プラットフォームではADASやサイバーセキュリティーなど現代の要求への対応が難しくなったことが挙げられています。
2024MYでは日本仕様の排気音量低減への対応に大きな開発投資が行われたとの情報もあり、古い設計を維持するコストは年々重くなっていました。
この点をR32に置き換えれば、1989年の電子アーキテクチャーを2000年代半ばまで引っ張るのはさらに困難だったでしょう。
つまり、R32が18年間続くためには、途中で「見えない部分」をほぼ作り直す必要があったはずです。
R32から18年後のGT-Rを妄想すると、どんな姿になったのか?
では1989年から18年後、つまり2007年前後までR32 GT-Rが続いていたと仮定してみます。
偶然にも2007年はR35が登場した年です。
個人的には、18年目のR32は次のようなクルマになっていたのではないかと想像します。
まずデザインです。
R32最大の魅力である直線基調のボディーや丸型4灯テールランプは、ブランドを象徴する部分として残った可能性があります。
ただし高速性能を高めるため、前後バンパーや床下、リアスポイラーなどはかなり空力重視になっていたでしょう。
次に走行性能です。
第二世代GT-Rが採用した電子制御4WD「ATTESA E-TS」の思想はさらに進化し、前後だけでなく車両姿勢全体を細かく制御する方向に進んだと考えられます。
ブレーキもR32初期型の弱点を考えれば、大径化や冷却性向上は避けられません。
そして最大の問題がエンジンです。
RB26DETTを18年間使い続けたと考えるのはロマンがありますが、環境規制や燃費、排ガス、安全性まで考慮すれば、どこかで新世代エンジンへ切り替わった可能性が高いでしょう。
仮にRB26の名称や基本思想を残すとしても、中身は大きく変わったはずです。
さらに2000年代に入ればDCTのような高速変速機や高度な電子制御も無視できません。
そう考えると18年目のR32は、「昔ながらのR32を改良したクルマ」というより、外観と思想にR32らしさを残した別世代のGT-Rになっていたでしょう。
そして興味深いのは、それこそが実際のR35にかなり近いという点です。
R32の妄想から見えてくる次期GT-Rの進化
R32の18年後を考えることは、単なる懐古趣味ではありません。
むしろ次世代GT-Rを考えるヒントになります。
R35の最終生産を迎えた2025年には、日産側から次世代GT-Rに前向きな発言が相次ぎました。
ラインオフ式ではイヴァン・エスピノーサ社長からGT-Rの次章を意識したメッセージが示され、長年GT-Rのチーフプロダクトスペシャリストを務めた田村宏志氏も、具体的な方式こそ明かしていないものの、次世代について検討していることを示しています。
R35開発初期から関わった松本光貴氏も、次の世代のメンバーが新しいGT-Rを見せてくれるだろうという趣旨のメッセージを残しています。
一方、次世代GT-Rが登場するとすれば、R32やR35の技術をそのまま延長するだけでは難しいでしょう。
栃木工場ではフェアレディZやスカイラインに加え、アリアや新型リーフといった電動車も生産されています。
そのため、将来のGT-RがBEVになるのか、ハイブリッドを含む別のxEVになるのかは確定していませんが、何らかの電動化技術が重要になる可能性は高いと考えられます。
私はここで、次期GT-Rに必要なのは「R32の再現」ではないと思っています。
R32が評価されたのは角張ったデザインだからだけではなく、当時の技術を使って世界に挑戦できる高性能を比較的現実的な価格で提供したからです。
R35も同じです。
ポルシェや欧州スーパーカーと性能を競いながら、発売当初777万円という価格で登場したこと自体が大きなインパクトでした。
ならば次のGT-Rも、昔のエンジンやデザインを無理に再現するより、「その時代の日産が使える技術で、従来の常識を超える性能を現実的な形で出す」ことこそ、GT-Rらしさなのではないでしょうか。
これはコスパを重視してクルマを見る立場からも非常に重要です。
2000万円級となった最終期R35を単純に安いとは言えません。それでも同等の性能を持つ欧州製高性能車と比べることで、GT-R独自の価値が見えてきました。
次世代GT-Rでも、単に最高出力1000PSといった派手な数字を競うのではなく、「この技術と性能をこの価格で出せるのか」と驚かせる存在になってほしいところです。
私見:R32が18年続かなかったからこそGT-Rは進化できた
R32から18年後のGT-Rを想像すると夢は広がります。
ただ、私は最終的に「R32が18年間そのまま続かなかったことも、結果として正しかったのではないか」と感じます。
R32にはR32の時代があり、R33にはR33の役割があり、R34では第二世代GT-Rとしての完成度がさらに高まりました。
そして一度GT-Rの歴史を区切ったあと、2007年にはスカイラインから独立したR35というまったく新しいGT-Rが登場しました。
もしR32という型式を守ることを最優先していたら、これほど大胆な変化は難しかったかもしれません。
クルマ好きとしては「ずっとR32のままだったら」という想像にロマンを感じます。
しかし商品として考えれば、古い設計を長期間維持するほど安全規制、環境規制、電子制御、製造コストなどの制約は大きくなります。R35ですら18年目にはその壁に直面しました。
だからこそ、GT-Rにとって大事なのは型式を守ることではなく、その時代におけるGT-Rの役割を守ることなのだと思います。
R32が登場した1989年とR35が登場した2007年では、クルマを取り巻く環境は大きく変化しました。
それでも両車が強烈な印象を残したのは、「日産が本気で世界に挑戦する高性能車」という軸が共通していたからでしょう。
次のGT-Rが電動車になったとしても、その軸さえ失わなければGT-Rらしさは残せるはずです。
むしろR32が18年進化していた世界を妄想してみると、最終的には「変わらないこと」よりも「時代に合わせて大胆に変わること」のほうがGT-Rらしい、という答えにたどり着きます。
まとめ
R35型日産GT-Rは2007年に登場し、2025年8月26日に最終生産車がラインオフするまで約18年間生産されました。世界販売は約4万8000台とされ、初期480PSから最終期570PS、NISMOでは600PSへと進化しています。
一方のR32 GT-Rは1989年から1994年まで約5年間で約4万4000台を販売しました。もしR35と同じ18年間が与えられていれば、ボディー剛性、空力、ブレーキ、電子制御などは大きく進化していたでしょう。
ただし現実には、その役割をR33、R34が引き継ぎました。
つまりR32の「18年後」を考えると、単一モデルを守るよりも、世代ごとに課題を解決していくことこそGT-Rの進化だったと見えてきます。
R35の生産終了は寂しいニュースですが、GT-Rという名前まで終わったと決まったわけではありません。
個人的には次世代GT-Rにも、R32やR35の形をそのまま追うのではなく、「その時代の日産だから作れる驚き」を見せてほしいと思います。それが結果として、未来から振り返ったときに新たなGT-R伝説になるのではないでしょうか。
よくある質問
R32 GT-Rは何年間生産された?
R32型スカイラインGT-Rは1989年に登場し、1994年まで約5年間販売されました。販売台数は約4万4000台とされています。
R35 GT-Rは何年間生産された?
R35型日産GT-Rは2007年12月に発売され、2025年8月26日に最終生産車がラインオフしました。約18年間にわたる長寿モデルです。
R32が18年間続いていたらR35のようになった?
完全に同じにはならなかったと考えられます。R32はスカイラインをベースにしたモデルで、R35はGT-R専用車だからです。ただし、空力、ブレーキ、ボディー剛性、4WD制御などを18年間磨いた結果、性能面ではR35につながるような大幅な進化を遂げていた可能性があります。