ホンダ アコードの開発者は誰?歴代モデルを支えた開発の背景に迫る

歴代ホンダ アコードと開発設計図をイメージしたシーン

ホンダ アコードの開発者として現在よく知られているのは、11代目の開発責任者を務めた横山尚希さんです。一方、初代では木澤博司さんが開発責任者を担当しており、アコードは約50年にわたり複数の技術者が思想を受け継ぎながら進化させてきました。

1976年に誕生したアコードは、単に代替わりを続けてきたセダンではありません。環境性能、安全技術、ハイブリッド、運転支援、コネクテッド機能など、その時代にホンダが重視する新技術を投入する役割も担ってきたモデルです。

ホンダ アコードの開発者は誰?11代目は横山尚希氏

11代目ホンダ アコードの開発責任者を務めたのは、本田技研工業 四輪事業本部 四輪開発センターの横山尚希(よこやま なおき)さんです。

2023年9月21日に行われた新型アコードの事前説明や開発者インタビューでは、横山さん自身が開発の狙いや、先代から改善したポイントについて詳しく説明しています。

横山さんは、もともとパワートレイン分野を専門としてきたエンジニアです。先代アコードではエンジン設計のプロジェクトリーダーを務めており、11代目では車両全体の開発責任者となりました。

つまり、デザインだけ、エンジンだけを見る立場ではなく、新型アコードという商品全体をどの方向へ進化させるかをまとめる役割を担った人物です。

11代目アコードでは、横山さんだけでなく複数の担当者が開発に参加しています。

  • 開発責任者:横山尚希氏
  • 車体電装設計担当:相川寿夫氏
  • 車体設計開発責任者:岡野克彦氏
  • 日本国内の商品企画担当:永坂徹氏
  • エクステリア担当:石井裕樹氏

クルマは一人の天才がすべてを設計する商品ではありません。開発責任者が方向性を示し、その下でパワートレイン、車体、電装、デザイン、商品企画など多数の専門チームが動きます。

その意味で「アコードの開発者は誰?」という問いには、11代目の中心人物は横山尚希氏。ただし実際の開発は各分野の担当者によるチームで進められたという答えが最も正確でしょう。


初代ホンダ アコードの開発責任者は木澤博司氏

アコードの歴史をさかのぼると、初代モデルは1976年に登場しました。

初代アコードの開発責任者、いわゆるLPLを担当したのは木澤博司氏です。木澤氏はシビックの開発にも携わった人物とされ、初代アコードではシビックより上のクラスを求めるユーザーに応えるクルマづくりに取り組みました。

初代アコードの開発は「654計画」と呼ばれています。

その前には、2.0リッター直列6気筒エンジンを搭載する上級車を目指した「653計画」が存在しましたが、この計画は中止。そのスタッフもアコードの開発へ加わったとされています。

1970年代は、自動車業界にとって非常に難しい時代でした。排出ガス規制が強化され、エネルギー問題への対応も迫られる一方、ドライバーは乗り心地や走行性能、使い勝手も求めていました。

そこでHondaがアコード開発の軸としたのが、乗る人にとっての「ゆとり」と、社会や環境との「調和」でした。

初代にはCVCCエンジンが搭載され、排出ガスを抑えながら走行性能も確保することが目指されました。

いまの感覚で言えば、燃費だけがよい「我慢するエコカー」ではなく、環境性能とクルマとしての実用性を同時に成立させようとしたわけです。

個人的には、この発想こそアコードの歴代モデルを理解するうえで重要だと感じます。最新型がハイブリッドや先進安全装備を積極的に採用しているのも、突然始まった話ではありません。

時代が求める技術を取り入れ、それを運転する人のために使いやすくまとめる。 この考え方は初代から現在までかなり一貫しています。


歴代アコードはどんな開発思想で進化してきた?

アコードの面白いところは、新しい技術を単に増やしてきたのではなく、「人がどう使うか」という視点で進化させてきた点です。

2代目では、車速に応じてハンドルの操舵力を変える車速応動型・バリアブルパワーステアリングが採用されました。

さらに、ジャイロセンサーを利用した航法装置「エレクトロ・ジャイロケータ」を実用化。現在のカーナビゲーションシステムにつながる技術として知られています。

3代目では4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを採用し、FF車でありながら走行性能を積極的に追求しました。

4代目では、F1や航空機でも知られる蜂の巣状の構造を応用したハニカムフロアやハニカムルーフを採用。軽量化、高剛性、静粛性の両立を狙っています。

6代目では、ふらつき運転を検知して警告する機能やEPS、VSAなど、安全性と車両安定性に関わる技術が投入されました。

7代目になると、高速道路でステアリング操作を支援するLKASや、先行車との距離を保ちながら走るIHCCを含む「HiDS」を採用しています。

現在では珍しくない運転支援技術ですが、当時としてはかなり先進的な装備でした。

そして9代目の2013年には、2モーター式ハイブリッドの「SPORT HYBRID i-MMD」をHonda車として初採用。現在のe:HEVにつながる大きな転換点となりました。

こうして振り返ると、歴代アコードは単なる「大きめのセダン」というより、ホンダが次の世代へ広げたい技術を先に試す役割を担ってきたクルマに見えてきます。


なぜアコードはホンダの新技術を任されるのか?

11代目の開発責任者である横山尚希さんは、アコードについて、開発現場でも非常に大切な存在であり、新技術をまずアコードを目がけて開発することが多いと説明しています。

背景には、現在のホンダ国内ラインアップにおけるアコードの位置づけがあります。

かつて存在した上級セダン「レジェンド」がなくなったことで、アコードは現在、国内ではホンダのフラッグシップ的な役割を担っています。

そのため11代目でも、新しい技術が数多く投入されました。

代表的なのが「Honda SENSING 360」です。

約100度の有効水平画角を持つフロントセンターカメラに加え、フロントと車両各コーナーに合計5台のミリ波レーダーを配置。周囲の状況を広く検知するシステムとして、日本向けアコードに導入されました。

さらに、Googleのサービスを車載システムに組み込む「Googleビルトイン」も採用されています。

インフォテインメントでは12.3インチのセンターディスプレイを採用し、さらに一つのダイヤルから複数の車内機能を呼び出せる「エクスペリエンスセレクションダイヤル」も導入されました。

お気に入りの空調やサウンドなどを登録でき、設定した機能を素早く呼び出せる仕組みです。

機能が増えれば便利になりますが、メニューが複雑になれば運転中には使いにくくなります。

そこで11代目では「機能を増やすこと」だけでなく、増えた機能をどう簡単に使わせるかまで開発テーマになっているわけです。

これは、運転に必要な情報を分かりやすく伝えようとした初代からの考え方ともつながっているように感じます。


11代目アコードはなぜ若い世代を意識して開発された?

11代目アコードの開発背景を理解するうえで重要なのが、先代モデルへの反省です。

日本向け先代アコードは2020年2月に発売されましたが、2022年8月に生産を終了し、2023年1月には販売も終えました。

日本だけを見ると販売期間が3年に満たなかったため、「販売不振で早く撤退したのではないか」と見られることもありました。

しかし北米では先代モデルが2017年秋から導入されており、約5年間という通常のモデルサイクルを終えたうえで次世代へ移行しています。

横山さんによると、日本向け先代モデルはさまざまな事情で導入が遅れており、11代目の「北米、中国、その後日本」という流れが本来に近い導入スケジュールでした。

一方で、商品そのものにも改善すべき点はあったようです。

商品企画担当の永坂徹さんは、先代アコードについてデザインや走行性能は評価されていた一方、ナビ、コネクト、安全機能について物足りないという声があったと説明しています。

購入層は60代中心となり、40~50代のユーザー比率が低下していたといいます。

横山さんも、先代は若いユーザーに十分寄り添えていなかったという趣旨の振り返りをしています。

そこで11代目では、デザインを過度に派手にするのではなく、インフォテインメントや安全装備を大きく進化させました。

狙ったのは、デジタル機器を自然に使いこなしつつ、ギラギラした高級感ではなく、シンプルな中に質のよさを求める40~50代も含めたユーザーです。

デザインコンセプトには「クリエイティブブラックタイ」という言葉が使われました。

正装のような基本を押さえながら、自分なりの個性も表現するという考え方です。

これは個人的にも、アコードらしい方向転換だと思います。大型セダンだからメッキを増やして豪華に見せるのではなく、デジタル技術や使い勝手にコストをかける。

「高級に見えること」より「使ったときに上質だと感じられること」を優先している点は、現在のユーザー感覚にも合いやすいのではないでしょうか。


横山尚希氏が走りでこだわった「リニアな発進と加速感」

パワートレイン出身の横山さんらしさが特に表れているのが、11代目アコードの走りです。

日本仕様は2.0リッターエンジンと2モーターを組み合わせたe:HEVを採用しました。

形式だけを見ると先代と同じ2.0リッター級ハイブリッドですが、中身は大きく改良されています。

エンジンは2.0リッター直噴式となり、トランスミッションにあたる2モーター式ハイブリッドシステムも新世代へ刷新されました。

横山さんが特に挙げた先代の反省点は、エンジン音と実際の加速感が必ずしも一致していなかったことです。

そこで11代目ではステップシフト制御を取り入れ、加速時も減速時も、ドライバーの感覚と車両の動きを合わせる方向に調整しました。

さらに興味深いのが、発進時の制御です。

通常、ハイブリッド車で燃費を優先するなら、できるだけモーターだけで走り、エンジン始動を遅らせる方向が考えられます。

ところが新型アコードでは、場合によってはエンジンを早めに始動し、燃費だけを最優先にせず、発進から加速までの自然な感覚を重視しています。

これはかなり象徴的です。

数字上の燃費を数%追うより、毎回アクセルを踏んだときの感覚を整える。横山さんが言う「リニアな発進と加速感」は、スペック表には表れにくいものの、日常で何度も体験する部分です。

さらにシフトパドルによる減速度は先代の約2倍まで高められ、電気自動車「Honda e」の技術も活用されています。

ワインディングロードでもパドル操作を積極的に使えるほどの減速感を狙ったと説明されており、「燃費のためだけのハイブリッド」ではなく、運転を楽しめるe:HEVに仕上げようとしたことが分かります。


アコード開発50年で変わったもの、変わらないもの

2026年、アコードは誕生から50周年を迎えました。

Hondaによると、アコードはこれまで世界160を超える国と地域で販売され、累計販売台数は2,500万台以上に達しています。

1982年にはアメリカ・オハイオ州で現地生産を開始。日本メーカーによる米国での本格的な現地生産を象徴するモデルの一つとなりました。

さらにアメリカでは1989年から1991年にかけて、日本車として初めて全米乗用車販売No.1を記録したとされています。

こうした歴史の中で、アコードは世界共通の一台をそのまま販売するのではなく、地域によって求められる価値を変える考え方も発展させてきました。

Hondaが掲げた「3地域最適化」では、北米、欧州、日本それぞれの市場に合った価値を考えます。

11代目にもその発想は見えます。

北米仕様では比較的シンプルな操作系を採用する一方、日本や中国向けではインフォテインメントを強化しました。

横山さんは、中国や日本では「北米仕様のままでは戦えない」という議論があったことを明かしています。

同じアコードでも、使われ方が違えば求められる装備も違う。

これは50年前のアコードが掲げた「人と時代に調和する」という思想を、現在のグローバル市場に置き換えたものとも考えられます。


開発者から見るホンダ アコードの本当の役割を考察

ここからは私見です。

アコードの歴史を開発者という切り口で追うと、このクルマは単なる「ホンダの大型セダン」ではないことがよく分かります。

初代では環境規制という時代の課題にCVCCで向き合い、2代目では操舵支援やナビゲーションにつながる技術を取り込み、3代目では走行性能、6~8代目では安全制御、9代目では2モーターハイブリッド、11代目では全方位運転支援とコネクテッド技術へ進んできました。

つまりアコードは、ホンダが「次の普通」にしたい技術を、ひと足早く商品化する実験場に近い役割を持ってきたと考えられます。

もちろん、実験場といっても未完成な技術を載せるという意味ではありません。

新技術を実際の商品として成立させ、日常で普通に使えるところまで仕上げる。その橋渡し役がアコードだったという意味です。

11代目で横山尚希さんが掲げた考え方にも、その歴史が表れています。

Hondaの50周年資料では、横山さんがアコードに必要な「いいクルマ」を考えた結果、「ゆとり」や「懐の深さ」に行き着いたと紹介されています。

そのイメージを「幅の広い平均台」にたとえています。

狭い平均台なら、技術のある一部の人しか自由に動けません。しかし幅が広ければ、多くの人が安心して、その上で自分らしく動けます。

クルマに置き換えれば、速さだけに尖らせるのではなく、運転に慣れた人もそうでない人も扱いやすく、そのうえで走りを楽しめる余裕を持たせるという考え方でしょう。

私は、この「幅の広い平均台」という言葉がアコードの歴史をかなりうまく表していると感じました。

環境性能だけでもない、安全性だけでもない、スポーティーさだけでもない。

全部をある程度高い水準でまとめ、誰か一部のためだけではなく、幅広い人が安心して使えるクルマをつくる。

その難しいバランスこそ、歴代開発者がアコードで挑み続けてきたテーマなのではないでしょうか。


まとめ

ホンダ アコードの開発者について見ると、11代目の中心人物は開発責任者の横山尚希氏です。横山氏はパワートレイン畑のエンジニアで、先代ではエンジン設計プロジェクトリーダーを務め、11代目では車両全体の開発を指揮しました。

一方、1976年登場の初代アコードでは木澤博司氏が開発責任者を担当しています。

初代のCVCCから、2代目のエレクトロ・ジャイロケータ、3代目の4輪ダブルウィッシュボーン、9代目の2モーターハイブリッド、11代目のHonda SENSING 360まで、アコードには各時代のホンダを象徴する技術が数多く投入されてきました。

開発者は世代ごとに変わっても、「人と時代に調和するクルマをつくる」という根本思想は約50年間受け継がれていると考えられます。

アコードを知るときは、スペックや販売台数だけでなく、「その時代の開発者が何を解決しようとしたのか」に注目すると、このクルマがホンダにとって特別な存在である理由がより見えやすくなります。


よくある質問

11代目ホンダ アコードの開発者は誰ですか?

11代目アコードの開発責任者は、本田技研工業 四輪事業本部 四輪開発センターの横山尚希氏です。もともとパワートレイン分野のエンジニアで、先代アコードではエンジン設計プロジェクトリーダーを務めていました。

初代ホンダ アコードの開発責任者は誰ですか?

1976年に登場した初代アコードでは、木澤博司氏が開発責任者を担当したとされています。初代は「654計画」として開発され、環境性能と走行性能、使いやすさを両立するクルマを目指しました。

アコードはなぜ新技術を多く採用するのですか?

アコードはホンダにとって重要なグローバルモデルであり、現在の日本市場ではフラッグシップ的な立場も担っています。そのため歴代モデルでは、安全技術、ハイブリッド、運転支援、コネクテッド機能など、今後ほかの車種へ広がっていく技術を先行して採用してきました。